大久保と小泉八雲➀ 小泉八雲が東京で暮らした家

あまり知られていませんが、作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は新大久保に住み、彼の人生の最期はこの地で迎えました。

新大久保は「天使のすむまち」を謳っていますが、ここでは天使姿になった小泉八雲先生と、彼の作品に登場するキャラクターたちに案内してもらいましょう。

『私が新大久保に住んだのは2年間半に過ぎないが
この地で最期を迎えたここは私の「終の棲家(ついのすみか)」なんだ』

ラフカディオ・ハーンの来日は1890年。松江に居住し、そこで英語教師をしている間に、女中の小泉節子(セツ)と結婚します。その後に神戸、熊本と居を移します。

そして1896年、東京帝国大学の英文学講師に招聘されます。彼が日本に帰化し、小泉八雲と改名したのもちょうどこのころです。

■小泉八雲旧居跡(新宿富久町)

ただし、小泉八雲が最初に住んだ場所は、新大久保ではなく、同じ新宿区の富久町(最寄駅は都営新宿線曙橋駅)です。

この場所は、成女学園中学校・成女高等学校の隅にありますが、いまは説明の看板が残るばかりです。

「しだいに開発により自然が失われていくのに心を痛め、明治三十五年三月、大久保村大久保字西大久保(新宿区大久保一丁目一番一七号付近)に転居し、そこで亡くなる」

看板にはそう記されています。

現在では、富久町より大久保の方が開発は進んでいますが、当時は逆だったんですね。

■小泉八雲終焉の地(新宿区大久保)

では、転居先の方に行ってみましょう。

大久保通りと新宿税務署通りの間の路地、区立大久保小学校の隅に「小泉八雲終焉の地」という碑が立っています(最寄駅は都営大江戸線東新宿駅)。

ここが、小泉八雲が最後に住んだ家があった場所ですが、現在では碑と説明版が残るのみです。

八雲は、明治35年(1902年)3月から彼が亡くなった明治37年(1904年)9月までの2年半、ここに住んでいました。

小泉八雲は54歳で亡くなりましたが、妻の節子(セツ)さんはそこから30年も生きます。

八雲の死後も、節子さんは大久保の家に住み続け、子供たちを育てながら、八雲との思い出を綴った「思い出の記」を執筆しました。節子さんもこの地で亡くなった(享年64歳)と考えられてります。

現在の大久保は多国籍の街として活気にあふれていますが、当時の面影を偲ぶような風景は、もはや残されていません。

『八雲先生のもっとも有名な作品「怪談」が執筆されたのも、この大久保の家だったそうですよ』

【住所】

小泉八雲旧居跡

東京都新宿区富久町7-30(成女学園内)

小泉八雲終焉の地

新宿区大久保1-1-21(大久保小学校正門脇)

文章・写真:桜美林大学 ビジネスマネジメント学群 新大久保商店街支援チーム

イラスト:高岡 洋介

大久保と小泉八雲② 小泉八雲記念公園と小泉八雲の墓